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佐々木朗希の父は見つかった?職業は葬儀屋で震災後家族はどうなった?

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「令和の怪物」と言われているロッテの佐々木朗希選手は、東日本大震災で父親を亡くされています。

東日本大震災の津波でお亡くなりになった父親は見つかっているのでしょうか?

また、一家の大黒柱を失った佐々木家の家族の皆さんは震災後どうなったのでしょうか。

今回は、佐々木朗希選手の父親は見つかったのか、父親の生前の職業やどんな人物だっだのかについてまとめてみました。

さらに、佐々木家の家族が震災後どうなったかについても調査しました。

  • 佐々木朗希の父は見つかった?
  • 佐々木朗希の父の職業は葬儀屋?
  • 佐々木朗希の家族は震災後どうなった?

 

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佐々木朗希の父は見つかった?

佐々木朗希選手の父親である佐々木功太さんは、2011年3月11日の東日本大震災の津波により37歳という若さで帰らぬ人に

佐々木功太さんは地震発生から5日後の3月16日に変わり果てた姿で発見されました。

つまり父親はすでに見つかったということですね。

東日本大震災当時の状況

佐々木朗希選手の実家は岩手県陸前高田市にあります。

地震発生当時、自宅には父親の功太さんと祖父母がいました。

その自宅が自身による大津波で流されてしまい、功太さんと祖父母が犠牲になってしまったのです。

佐々木朗希の家族構成
  • 祖父母
  • 両親

学校にいて高台に避難した佐々木朗希選手や兄と弟、そして仕事で隣町の大船渡町にいた母親の陽子さんは難を逃れることができました。

父親が見つかった時の状況

大船渡の親族の家に身を寄せていた母親と3兄弟のもとに震災から5日後の3月16日に一本の電話が入ります。

その電話で「見つかりました。」と伝えられた時、佐々木朗希選手は、「見つかった?!」と、目を見開いたそうです。

当時9歳だった佐々木朗希選手。

見つかりました」の真意を察するにはまだ幼かった息子を見て、母親の陽子さんはどんな思いだったでしょう。

 

佐々木朗希の父の職業は葬儀屋

佐々木朗希選手の父親の職業は葬儀屋のサラリーマンでした。

功太さんは葬儀店に勤め、母の陽子さんも保険関係の仕事をしていた。

引用:日刊ゲンダイ

佐々木朗希さんは父親の仕事について、「人生の節目に寄り添う仕事」と語っており、父親の仕事に対して尊敬の気持ちを持っていたことが分かります。

功太さんは、不規則な生活になる葬儀屋の仕事をしつつも、子供達とよくキャッチボールをしていたそうですよ。

父親は地元のリーダー的存在

佐々木功太さんは、地元のリーダー的存在だったそうです。

佐々木功太さん。もともと、陸前高田では知られた人だった。元気な3児の優しい父として。人生の節目に寄り添う仕事をする、人情あふれる働き者として。夏祭りでは町内会を率先して盛り上げる、太陽のような存在として。163キロ右腕のことを「あの功太の、3人息子の真ん中の子」と認知する人も多い。

引用:日刊スポーツ

今は町内会に参加する若い人が減っているとも聞きますが、父親の功太さんは町内会を盛り上げる貴重な若手だったようです。

「太陽のような存在」と評されるなんてよほど素敵な方だったのでしょうね。

息子・朗希のプロ入りを予言

佐々木功太さんはバスケットボール経験者でしたが、子どもたちが野球を始めたことで、兄弟とともに野球の練習に明け暮れるように。

一緒にキャッチボールをした時にはなんと、「朗希は凄い!将来、プロになれる」と予言したそうです。

今の佐々木朗希選手の活躍する姿を見て功太さんは本当に喜んでいることでしょうね。

 

佐々木朗希の家族は震災後どうなった?

佐々木朗希選手の家族を改めてみてみます。

佐々木朗希の家族構成
  • 祖父母
  • 両親

父親の功太さんと祖父母は津波で帰らぬ人となり、その5日後には功太さんと祖母が発見されます。

しかし、祖父については見つかったという情報はなく、もしかするとまだ見つからぬままなのかもしれません。

母親

母親の陽子さんは、息子3人を保険外交員の仕事をしながら立派に育て上げます。

仕事だけでも忙しいのに、野球をする子供達の体作りについても気にかけ、早寝を促したり、お弁当を作ったりしていたそうです。

そして、野球の試合ではもう試合を見ることが叶わなくなった功太さんの分まで、しっかりと肉眼で見て目に焼き付けたと語っています。

 

長男:佐々木琉希

長男の佐々木琉希さんは震災後、父親代わりとして弟2人の面倒を見たそうです。

佐々木朗希選手とは3つしか違わないので、当時12歳です。

まだまだ自分も子供だというのに、「自分がしっかりしないと」と感じていたのかもしれません。

佐々木朗希選手も兄は相当厳しく、そんな兄を越えようと負けず嫌いになったと語っています。

佐々木琉希さんも野球をしていて、その姿を見て佐々木朗希選手も野球を始めたそうです。

ただ、今は一般企業に勤めているそうで、噂では「電通」ともいわれていますが、定かではありません。

 

また、佐々木朗希選手の名前は兄の琉希さんが名付けたんだそうです。

名前の由来

百獣戦隊ガオレンジャーの敵キャラ狼鬼

敵キャラの名前なので両親も悩まれたかもしれませんが、漢字のセレクトにより素敵な名前になりましたよね。

子供の意見を尊重する素敵なご両親だということも感じられるエピソードです。

弟:佐々木怜希

弟の佐々木怜希さんはも二人の兄と同じく野球をしています。

高校も「岩手県立大船渡高校」です。

2022年夏の県大会の一回戦で「1番・遊撃手」として出場。

ロッテ佐々木朗希投手の弟・怜希内野手(2年)は「1番・遊撃」で出場し、5四球で1得点1打点で貢献するも、惜敗を喫し「負けてしまって悔しいなという気持ちです。

引用:スポニチ

今年が高校最後の夏となりますね!

  • 身長:178cm/64kg
  • 投打:右/右
  • 50メートル走:6秒5
  • 高校通算:2本塁打
  • 好きな選手:オリックス・山本由伸

 

 

まとめ

ここまで「佐々木朗希の父は見つかった?職業は葬儀屋で震災後家族はどうなった?」と題してお送りしてきました。

佐々木朗希の父:震災から5日後に見つかる

職業:葬儀屋のサラリーマン

震災後:

  • 祖父のみ発見情報なし
  • 母親は保険外交員として子供3人を育て上げる
  • 子供3人は野球に打ち込む

震災から12年後の3月11日、佐々木朗希選手はWBCの第3戦に先発として出場し、世界デビューを果たします。

震災の被害にあった人だけでなく、日本中が佐々木朗希選手を応援することでしょう。

佐々木選手が持てる力を存分に発揮し、WBCの雰囲気を、この晴れの舞台を目一杯楽しんでほしいですね!

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